遅れてきた『出雲一号』

ぼくの作品に、『出雲伝説7/8の殺人』というものがある。これは、好きな出雲地方の伝説に、不可解なバラバラ殺人事件を絡ませて描こうとする、自分としては意欲作だった。
作品を支える重要な要素に、ブルートレイン『出雲一号』の車内から、停車中、別の列車に断死体の一部を移すという行為があった。
長くなるので詳しくは述べないが、こういう行為を複数の駅で行う必要があり、時間が短いため、はたして可能だろうかと作者が不安になる箇所に米子駅があった。
ここに犯人と、切断死体を乗せた『出雲一号』が入ってくる。この到着 時刻が七時二分、そして十分間停車をして、七時十二分に出て行く。一方、
米子を七時三分発の倉吉行き鈍行列車があり、この列車と『出雲一号』と は、米子駅で一分間重なる。この一分間で犯人は、切断死体の一部を入れ
た紙袋を持って『出雲一号』を飛び出し、これを倉吉行鈍行列車の網棚に 乗せ、また出雲に駈け戻る必要があった。こういうことが現実に可能だろ
うかと不安になったのである。そこで米子まで取材に行くことにした。
去年(一九八四年)の二月のはじめだった。一年で一番寒い時期で、米子 に着いた時はそうでもなかったが、ホテルで一夜が明け――いや、まだ明
けてはいなかった、眠い目をこすりながら午前六時半にホテルを出た時、空はまだ濃いブルーで、粉雪が盛んに舞い、身をきるように寒かった。米子駅前の舗道は、東京のものとは全然違う乾いた雪が全面を覆っていて、歩くたびにきしむ音がした。
米子駅のホームへ出て、駅員に『出雲一号』はどこに着くのかと質すと、二番線だと言う。改札口を入って、陸橋を渡ったあたりになる。
行ってみると、倉吉行き鈍行の方は訊くまでもなかった。そのホームの反対側三番 線に、すでに入っていたからだ。
大いに安堵した。そうなるとこの二列車の距離は、ホームの幅分、せいぜい十メートルにすぎず、荷物の積み変えくらい、一分なくても可能と思われた。
ところが甘かった。あんまり寒いのでホームの立ち食いの蕎麦を食べながら待っていたのだが、七時二分になっても、『出雲一号』はやってこない。やがて二分三十秒となり、四十秒になった。
ついに倉吉行き鈍行の発車ベルが鳴りはじめ、あの時の自分の心境はまさしく犯人のもので、くそ、このままではせっかくの俺の完全犯罪が!などと国鉄をののしりたい気分になった。
ついに倉吉行き鈍行は出ていってしまった。ぼくは去っていく列車の後尾を眺めながら、しばし茫然とした。後には山陰の雪景色が残り、粉雪がホームに舞い込んだ。
このあたりの体験は、作中196頁あたりを書くのに大いに役だった。
したがって無駄ではなかったのだが、この時感じた驚きは、ちょっと言葉にできないくらいのものである。ぼくは、日本の国鉄は時計の針よりも正確に運行すると信じてこういう人殺しの計画を立てていたものだから、ひどく失望し、また腹立たしいような気分だった。
倉吉行き鈍行出発より遅れること一分で、ようやく『出雲一号』が二番線に入ってきた。ブルーの車体が、白く雪にまみれていた。
ぼくが犯人ならもう計画は瓦解、即刻逮捕である。先頭の個室寝台車まで歩き、窓から首を出している乗務員に、遅れましたね、と尋ねてみた。すると、雪で二分遅れになっちゃった、という返事である。
なるほど、国鉄はずいぶん雪に弱いのだなと納得したのだが、それも無理からぬことと後になって知った。倉吉や、浜田、出雲あたりに行こうと、ぼくはそれからさんざん山陰本線を使って往ったり来たりを繰り返したのだが、山陰本線は、立派な名前のわりにはほとんどが単線なのである。
それでしょっちゅう、時刻表に記載されていない駅で行き違い停車をした。
したがって、いくら下りの『出雲一号』が遅れをとり戻そうと頑張っても、上がりが遅れたらどうにもならないのだ。ぼくがその後乗った列車も、遅れた反対側の列車を待つため、ある駅で二十分近い行き違い停車をしていた。二分遅れは、むしろよく頑張った方であった。
ともかくこの取材旅行の体験で、ぼくはあの作品の季節は、冬であってはならないことを知った。事件の発端が四月になっているのはこのためである。
掲載雑誌:1985年 週間宝石掲載
出雲伝説
山陰地方を走る六つのローカル線と大阪駅に、流れ着いた女性のバラバラ死体!なぜか首はついに発見されなかった。捜査の結果、殺された女は死亡推定時刻に「出雲1号」に乗車していたらしい…。
休暇で故郷に帰っていた捜査一 課の吉敷竹史は、偶然にもこの狂気の犯罪の渦中に…。好評、 本格トラベル・ミステリーの力作!
光文社文庫
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