しし座のヒッチコック
ヒッチコックの『裏窓』
ヴィデオを手に入れ、ようやく念願の『裏窓』を観た。
まだ観ていない人のため、この作品の大まかなストーリーを説明すると、ジェームス・スチュワート扮するカメラマンが、骨折のため、足にギプスを填めてアパートの自室で寝ている。裏の窓から、中庭をはさんで隣のアパートの窓がすべて見える。
退屈をまぎらわせるため、それらを眺めていたら、そのひとつに住む男の行動が不審で、どう考えても妻を殺したようにしか思えない。
そこで婚約者のグレース・ケリーと、通いのお手伝いの婦人を手足に使い、個人的に調査に乗りだすというお話である。
敵の行動は、望遠鏡を使って裏窓から逐一観察ができる。
敵の部屋に電話をかけることもできる。
しかし自身はベッドから一歩も動けず、恋人の危機にも直接行動を起こすことができない。使えるのは頭だけ。こういうシチュエーションには、推理作家なら一度は心を動かされるはずだ。それは何故か。『裏窓』が何故面白いのかを少し考えてみた。
それは何といっても、推理とは本来、頭だけを使うゲームだからだ。裏窓の状況設定は、この条件を徹底させたものといえる。
本格の推理小説において、読者は主人公と同じ位置にいなくてはならない。読者は主人公の探偵と同じだけの判断材料を得、フェアな知的勝負ができなくてはルール違反である。
読者が殺人者の顎に右アッパーを打ち込めぬなら、作中の主人公もそんなことをしてはならない。
『刑事コロンボ』で、クライマックスの謎解きの後、犯人がコロンボに殴りかからないのも、また逃亡しようとコロンボのポンコツ車にカーチェイスを挑まないのも、犯人がこのルールを厳に守っているからにほかならない。
この映画において、ヒッチコックは厳正頑固なるアンパイアである。
ジェームズ・スチュワートは彼により(あるいはギプスにより)、このルールを厳しく守らされる。かくしてこの傑作サスペンスは生まれた。
掲載雑誌:1984、5年頃 ブルータス、もしくはポパイ