本格ミステリー宣言
このエツセーがいつ頃のものであるのか、今はもうよく解らない。
これらは当時在野の研究家、鎌田昌一氏が毎年「島田荘司研究」という同人誌を発行してくれていて、 この中に収録されていたからこうして残った。したがって彼には感謝している。
推理の材料としては、江川卓氏が1日の空白をついて巨人に入団した記憶が生々しい頃であるらしいこと、 ハードボイルドを突き放して書いているから、「サテンのマーメイド」の計画はまだ脳裏になかった頃のように
思われることであろうか。
このエツセーに関しては、けっこう書くことを思いつく。
まずこのタイトル、これは自分で付けた記憶がなく、タイトルを付け忘れて集英社に渡したら、誰かがこれを付けてくれた。
このタイトルのすわりのよさにインスピレーションを得て、これがのちの講談社刊「本格ミステリー宣言」執筆の きっかけとなった。
これを読むと、当時はアメリカン・ハンバーガーには全然興味がなかったようだ。
LAに住んで、三日とあげずにイン・エン・アウトのハンバーガーを食べている今を思えば、人生とは解らないものである。
2000年9月22日
僕にはどうもイギリス趣味というやつがあるらしい。ミステリーを書きはじめ、そのことに次第に気づくようになった。
そもそもハードボイルドでなく、本格ミステリーにひかれること自体そうだ。
同世代の作家の人たちを見ていると、多かれ少なかれレイモンド・チャンドラーの影響を受けている人が多いように思う。学生のミステリーマニアの集いに招かれてみてもそれは同じで、むろん本格パズラーのファンという人は多いのだが、次に多いのがハードボイルドのマニアで、こういう人は、本格ファンの集いの中にも三分の一くらいはいる。
そういう人は、本格パズラーを書いても編集者は誰も読んでくれなくてと僕が喋っている間は眠っていて、チャンドラーと口走るたび、はっと眠りから醒めるのである。
僕の子供時分からの読書歴に、どうしたわけかハードボイルドのジャンルがすっぽりと抜け落ちている。
最近僕は、こんなことでは流行に遅れると思い、テクノ・ファッションの勉強に没頭する一方で、一生懸命ハードボイルドを読んだ。
そのかいあって、内藤陳さんなどに、こんど僕はハードボイルドを書きますよとうそぶいたり、大沢在昌選手に書いたら射殺すると脅迫されるまでになったが、だがやはり僕にとって特にハメットなどは、アメリカン・ハンバーガーや、ポニーテールやツイストと同じく、どうにも夢中になれない対象なのである。
中ではチャンドラーがもっとも体質に合った。というより彼だけは好きで、前から何冊か読んでいた。
何故だろうと考えるに、やはりチャンドラーにはイギリス人の体質があるからではあるまいか。
サキが生きていて、今「プレイボーイ」誌あたりに原稿を依頼されたら、案外ああいうものを書くかもしれないと思う。
ちなみに僕の好きなものを、以下で思いつくまま挙げてみると、ハードボイルドよりミステリーが好き。コーヒーより紅茶が好き。ビーチボーイズよりビートルズが好き。
サーフボードよりオートバイが好き。ベンチャーズよりシャドウズが好きで、スーパーマンやバットマンより、サンダーバードの方が好きだった。O・ヘンリーよりサキが好きで、マッカーサーよりアラビアのロレンスが好きだった。
こうして振り返ってみると、僕は青少年期、英国産のものばかりを選んで接し、血肉にしてきた心地がする。
昔読んで感動し、今でも毎年本棚から抜き出して読むという本は、ホームズの六十の冒険譚と、ジェローム・K・ジェロームの『ボートの三人男』くらいのものである。
日本の作家に対してもそうだ。無意識に英国の雰囲気を求めるらしくて、だからかどうか、ドイツへ行った森鴎外、フランスへ行った永井荷風より、ロンドンへ留学した夏目漱石にひかれるのである。
話をミステリーに戻せば、僕は拳銃で人を殺すのがあまり好きではない。
あれはやはりハードボイルドの世界に属する凶器であって、あんな隣りのビルの住人を楽々と殺せたり、その気になれば密室内にいる人間を煙突からあつさり殺せるような卑怯な武器はつまらない。ああでもないこうでもないと、読者と知恵比べを楽しむような本格パズラーの世界にはなじまない。
そもそも本格パズラーの世界には暗黙のルールがある。正々堂々と、紳士としてふるまうという嗜みである。
このルールを踏みはずさない限りは、どんな傲慢さも、傍若無人な饒舌も許されるのである。
このルールは犯人においても厳に適応される。
決してヒステリーを起し、むやみに拳骨を振るったり、拳銃などという卑怯な飛び道具をぶっ放したりしてはならないのだ。
刑事コロンボの犯人が、自分が死刑になる危険だってあるのに、結末で一度もコロンボを殴り倒さないのはこのためである。
あのワトソン氏が、ホームズより拳銃の腕前があることは、熱心なシャーロッキアンの研究成果としてとみに有名だが、それでも彼がホームズ以上のスターになれないのもこのためだ。
そしてこのルールこそは、英国紳士としてのルールなのである。
まったくこんな馬鹿馬鹿しいルールはないのであって、江川ならずともたまには破ってみたくなる。
最後で犯行がバレても、いまいましいコロンボに右ストレートを一発かまし、車を一台奪って逃走すれば、コロンボのポンコツ車ではカーチェイスにもならない。
しかるに、誰もやったことがない。おびただしいコロンボ物のうち、犯人がこの手に出て、それでもコロンボが何とかとりおさえられたろうと思えるケースは、僕が知る限り二つしかない。つまり、犯人が女だった事件である。この手の馬鹿げた冗談は英国には山ほどある。
例えば英国の煙突掃除人は、昔からの伝統を守っていまだにシルクハットをかぶって屋根に登る。しょっちゅうシルクハットを煙突の中に落としている。あるいは電化された機関車の運転席には、いまだに釜たき人が乗って昼寝をしている。
アメリカ独立戦争の時、隊列を組んで歩いている英国軍をもの陰から狙い撃ちしても、連隊をくずすのは英国紳士の恥とされたので、遊園地の射的ゲームみたいにいくらでも撃ち倒せたとか、ロンドン紳士はたいていコウモリ傘を持って道を歩いているが、いざ雨が降りだしても誰も傘をささない。彼らの傘は、傘巻き屋でスマートに極細に巻いてもらい、ためにいつも同じ場所を厳しく折り畳む結果になるので、実際に傘など開こうものならびりびりと折り目が破れてしまうのである。
したがって彼らは、雨が降ればゆうゆうと傘を振り回しながら、男らしくずぶ濡れになるのである。
こういう変った民族は、だいたいにおいて趣味人である。
事実、現在地球上にあるあらゆるスポーツの九割は英国人が考察したといわれているし、英国人は荷馬車に乗っていても、隣にもう一台並んできたら「おい、一発レースをやるべ!」と必ず言うそうだ。
しかしこれだけ楽しみ好きな英国人にも、一つだけぽっかり抜けたジャンルがあって、それは食いものである。
どの国も必ず自慢の料理というものがある。フランス料理、中華料理、ロシア料理、イタリア料理、日本料理、しかしイギリス料理の名品などというものを、これまで一度も聞いたことがない。紳士たるもの、女の領分である厨房には寄りつかなかったか、それとも男子の本懐は食いものにあらずと考えたものか、このあたりはミステリーだ。
僕自身のことを考えれば、やはり趣味は多くて、盆栽いじりを除いてあらゆることをやったが、忙しくていまだ料理にまでは手が廻らない。
だから英国人のこの気持ちにはまったく理解が及ぶのである。
掲載雑誌:1984、1985年頃 集英社「青春と読書
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