エッセイ
ノルウェーの丸太
日本流「粋」の功罪
  日本病病原菌の名前
解説 「熱い砂」
トム・ウェッセルマンのピンホール
江戸への短い旅
トラベルミステリー
石岡和己先生の執筆メモから
インタヴュー
ON TIME
「Yの悲劇」を越える作品はない
雑誌「教職課程」インタヴュー
平野啓子の「作家へアタック」
「本格ミステリーの追求」
TOP INTERVIEW
本と人
VIPルーム8000文字インタヴュー
島田荘司氏 清張さんの大ファンでした
どうしたら日本社会がもっと楽しくなり、 日本人がもっと魅力的になるか
SECRET INTERVEW for 『Classical Fantasy Within』


ノルウェーの丸太

 最近、友人の御手洗潔という男が北欧に行ってしまったと読者に報告したら、自分も行くことになったので驚いた。この旅の目的は別の場所に書くのでので、ここでは繰り返さない。
 オスロの街を歩いていて感じたことは、ここにも日本人観光客が大量に押し寄せていたらしいということだ。「ノルウェー」と片仮名で書 かれた観光本、「ノルウェーのおとぎ話」、「トロルの話」そういう日本語翻訳本が、土産物屋に決まって積まれている。この多さは、昨日今日日本人が増えたということではどうもなさそうだ。バブルの時代、日本人が大挙してここへやってきた証しと見える。と考えていたら 、はたと思い当たった。これは「ノルウェーの森」の余波ではないか。
 以来、オスロを歩いていて、今は去ったバブルについて考えることしきりであった。かつてのバブルの頃、あの小説は一世を風靡した。あの小説に魅かれ、多くの日本人がオスロに旅だったらしい。ぼくもあの小説がとても好きだし、あの小説世界には、盛りにある音楽グループのコーラスがよく響くように、よい小説だけにある、響き合って拡がる登場人物の人生がある。
 ノルウェーの郊外を車で走ると、道の周囲に草原か麦畑が果てしなく広がり、こういう中に、あずき色か黄色のペンキが塗られた板壁の家がぽつりぽつりとある。窓枠は必ず白く、中からは白いレースのカーテンが覗く。
 こういう絵のような風景の背後には、必ず黒々と森が広がる。あの小説にも森の中の底なし井戸の話が出てくるが、森の恐怖を描くメルヘンが多く生まれ、まだ生きていることに深く頷ける土地柄である。
 ただここに、以前から不思議に思っていたことがある。あの小説の原題となったビートルズの曲は、誤訳の疑いがある。文字通りに「ノルウェーの丸太」と考えても、歌詞世界の辻褄が合うのである。
 あの歌詞は、ジョン・レノンがたぶんノルウェーで浮気をした時の体験談を、当時の妻シンシアにバレないように、一般恋愛用の類型 的な言い廻しも入れて歌っている歌詞で、以下のような内容だ。一般(面白いことに、これは英語圏も含めた)に信じられている方法 でまず訳してみる。「ぼくにはかつて彼女がいた。それとも彼女にぼくがいたというべきかな。彼女はぼくに自分の部屋を見せてくれた。いいでしょう? ノルウェーの森。
 彼女はぼくにしばらくいてと言い、どこかにすわってよと言った。そこでぼくはあたりを見廻したけど、椅子なんてないことに気づいた。
 ぼくは敷物に腰を降ろし、彼女のワインを飲みながら時間をつぶした。ぼくらは二時になるまで語り合い、そうしたら彼女が言った。 『ベッドの時間よ』」 ノルウェーの森」という言葉とのつながりがちょっと唐突だが、特に問題はない。単数になると、「wood」には「森」の意味もある。しかし「wood」や「ラグ」を「丸太」と訳すと、内容はたちまち一変し、はるかに辻褄が合って、ずっと興味深い世界が開けるのだ。かつてぼくはある女の子と寝た。それとも彼女がぼくと寝たというべきかな。彼女はぼくに自分の部屋を見せてくれた。いいでしょう? ノルウェーの丸太よ。
 彼女はぼくにしばらくいてと言い、どこかにすわってよと言った。そこでぼくはあたりを見廻したけど、椅子なんてないことに気づいた。
 ぼくは丸太に腰を降ろし、彼女のワインを飲みながら時間をつぶした。ぼくらは二時になるまで語り合い、そうしたら彼女が言った。『ベッドの時間よ』」
 こうやると、のちに世界を震撼させるわが小野洋子に似た女性が、幻のようにたち現れる。彼女には前衛趣味があって、自室に椅子をおかず、一本の丸太をごろりと置いていたということになる。この女性の前衛センスへの興味が、ジョンのこの詩の前半の主題になっている。「Norwegian Wood」とは、どうやら彼女の部屋に、椅子代わりに置かれてあった丸太のことと推測される。
 ところがこの詩は、アメリカ人にもよく解らないという。運が悪いと言えば悪いことに、「I sat on a log(丸太),biding my time drinking her wine.(ぼくは丸太にすわって、彼女のワインを飲みながら時間をつぶした)」という部分が、「I sat on a rug(敷物)」と聴こえる。アメリカ人もどうやら、訊く限りはみなそのように了解していた。そういう言い廻しの方が日常よくされるからだ。「丸太」と「敷物」の英単語の音が、たまたま近いのである。ここでも「丸太」が消える。
 ジョンの発音も、ぼくには「丸太」なのだが、聴きようによっては「敷物」に聴こえないこともない。すわるように勧められてジョンは、「敷物にじかにすわった」と言っているようにも聴こえるのだ。ひょっとしてジョン自身、レコーディングの際に「log」を「rug」とも聴こえるように歌ったかもしれない。「log」にしてしまうと、短い詩の文章では何のことか皆に伝わらないかもしれないし、北欧の浮気相手が特定されてしまって、のちのち不都合が予想されたかもしれない。当人に質そうにももう故人だ。
 名曲「ノルウェーの丸太」には、このようなちょっとした秘密が隠されている。このおそらくは誤訳が定着してしまったため、ジョン好みの、前衛アート趣味の北欧の女の子の姿が幽霊になってしまった。彼女こそは、小野洋子のプリヴューだったのである。
 とはいえ、「ノルウェーの森」という文字の連なりには詩がある。限りなく誤訳に近いとは思うが、これは美しい誤訳だ。だから追求する気にはならない。「ノルウェーの丸太」では詩にならない。誤りが事態を悪くするばかりではないという、これは好例である。

掲載雑誌:不明 光文社ノヴェルズの中挾