演劇 - 前編 (8/23/02)
僕の演劇に対する興味は本当に突然生まれた。小学校4年生のとき、新聞のテレビ欄のすぐ下に「新人タレント募集」っていうデカデカと出ていた広告になんとなく興味を引かれたのがキッカケ。それを見ると、同い年くらいの子がテレビや舞台で活躍してるらしいことが書いてある。小さい頃から負けず嫌いだった僕は、「こんな子ができるくらいだったら僕でもできそうだなぁ」と思って母に聞いてみた。 今でも母に感謝しているのが、小さい頃から僕が興味を示したものに、文句を言わずにそれを伸ばしてくれるような努力をしてくれたこと。まだ3歳ぐらいの頃、母がもらってきたオルガンに興味を持って毎日のように弾いていたら、ピアノを習わせてくれたし。小学校2~3年の頃には、なんとなくピアノで曲を作ったりしていた僕に、作曲の先生をつけてくれたり(これはあまり続かなかったけどね)。母子家庭ということで財政的にすごく苦しかったと思うんだけど、僕にはやりたいことをやらせてくれた。だから今でも、新しいものに簡単に興味が持てるんだと思う。
この演劇の新聞広告を見つけたときも例外ではなく、劇団に入るんだったら、家族が岡山から東京に出てきたときに兄が方言を直すために入っていた「劇団こまどり」がいいんじゃないかと提案して、早速劇団に電話して面接のアポを取ってくれた。小学校4年の12月。面接の日のことはあまりよく憶えてないんだけど、確か事務所で何かちょっと読まされて、その後「ちょっと唄ってみてくれる?」って言われてその場で唄ったんじゃなかったかな。全部で15分もかからないような簡単な面接で、なんだか拍子抜けしてしまった。この日から毎週日曜日は、この劇団こまどりで演劇を学ぶことになる。
笑っちゃったのが劇団に入ったすぐ次の日くらいから仕事があったこと。確か田町のスタジオで、「とーしのはーじめーの~」とかいう歌を、他の劇団のみんなと一緒に唄ったのが僕の初仕事。他の子達と一緒ってこともあって、全然緊張しなくて、むしろとても楽しかったっていう記憶がある。劇団に入りたての頃は、こういう歌の仕事がとても多かった。その頃テレビで流れていたコマーシャルソングで、子供の声が入っていたら、それは全部僕たちが唄ったものだと言っても過言ではないくらい。一週間に最低二度はこういう仕事が入ってたんじゃなかったかな。
さて歌の仕事はともかく、演技の方は全くド素人。学校で教科書を読むのは得意中の得意だったとはいえ、それに感情を込めて読むとなると話が違ってくる。しかも、自分ではみんなと同じ標準語を喋ってると思っていたんだけど、どうやら親の影響で所々に岡山の発音が出てるらしい。一番大変だったのが有声音を無声音に直す訓練。「ひとつ、ふたつ」とか言うときに、関西の方では「ひ」「ふ」「つ」はしっかりと母音まで発音するんだけど(有声音)、東京では母音は発音せずに子音だけを発声する(無声音)。つまり標準語で「ひとつ」って言うときには、母音までしっかりと発音する音は「と」だけ。「ひ」と「つ」は声を出さずに、ひそひそ話しをしているような音になる。このことは約1~2年の間先生に注意され続けたと思う。「難波! 有声音!」って先生に言われることが、一時期すごく怖かった。 |
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最初の大きなレギュラーはNHKの『みんななかよし』という道徳番組。初めての大きなオーディションは、さすがに緊張した覚えがある。セリフつきのテレビ番組の収録も、僕にとっては初めてのこと。6人のレギュラーの中で、僕だけ浮いちゃうくらい下手だったけどね(笑)。それでも僕にとっては初めてのテレビ出演。まだビデオなんてものはなかったので、初めての放送の時には母がテレビの画面をカメラで撮っていた。初めてのテレビドラマ体験、面白かったな。尾美としのりくんや、同じ劇団の笠原弘子ちゃんとかと一緒だった。ちょっと残念だったのは、『みんななかよし』は小学校4年まで向けのヤツだったらしく、この時小5の僕は、自分のクラスで見ることはできなかった(『明るい仲間』が小5向け)。それでも学校の廊下を歩いてると、下級生のヤツラが「こいつテレビに出てた!」って指差されたりしたっけ。小6になってからは、同じくNHKの『僕らの社会化ノート』っていう番組にレギュラー出演。この番組は自分では見たことがなかったんだけど、色々な社会に関する話題を扱う番組で、『みんななかよし』のようなドラマとは全く違う感じだったから面白かった。この番組で初めてロケも経験。それまではずっとスタジオでの収録だったので、屋外での収録はとても新鮮だったことを憶えている。
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同じく小6の夏には夏休み全部を利用して、『ガキ大将行進曲』っていう初めての映画の収録が山梨であった。オーディションがあったんだかどうだか忘れちゃったんだけど、なんと主役の4人の中の1人に抜擢されて、ちょっとだけ緊張した覚えがある。1ヶ月半も親元を離れて暮らすのは初めてだったけど、最初の何日かで慣れちゃったみたい。スタッフも共演者の人たちもすごく付き合いやすかったのを憶えてる。山梨のあるお寺で寝泊りして、学校や野原、山の中なんかでロケの毎日だった。普通ならこういう団体生活って苦手な方なんだけど、なぜかこの時は大丈夫だったな。ただ山登りが主体なストーリーなだけに、毎日毎日早起きして山に登らなきゃいけなかったのがとても大変だった。今から見てると本当にダメダメな演技なんだけど、収録中には「光男(僕の役名)は演技が上手だな」って監督さんに言われたりして、とても嬉しかった。ただのオダテだったに違いないけどね。途中で大熱を出して頭がガンガンに痛かった時があったんだけど、その時には監督に「頭が痛いような顔をしたら承知しないぞ!」と怒鳴られて、我慢しながら撮影したこともあった。ストーリー中で僕が鉄棒が出来るようになるっていうシーンがあるんだけど、僕はその頃逆上がりはできても、台本にある足掛け上がりはやったことがなかったので、スタッフの人に教わりながら猛特訓した。手に豆ができたりして大変だったけど、やっと足掛け上がりができるようになってよかった。手の豆がつぶれた時には、監督が「ああ、ちょうどいいからこの絵撮っちゃおう」と言って、そのまま映画に使われちゃった。『ガキ大将行進曲』を観たことのある方々、あのつぶれた手の豆は本物です(笑)。本当に楽しいこと満載の夏、僕にとっては今までで最高の夏休みだった。
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この頃から声の仕事が多くなってきた。特に洋画の吹き替え。声がかなり高くてボーイソプラノ系だったので、ひ弱で白血病で死んじゃう男の子の声ばっかり当ててた気がする。『クリスマス・ツリー』や『メリーゴーランド』とかね。『クリスマス・ツリー』の初放送のときには、新聞の番組欄の<声の出演>に初めて名前が載って嬉しかったねぇ。よく再放送するみたいだけど、ずっと僕の声を使ってくれてるみたいだし。もう子供の頃のことだから、どうやって吹き替えの技術を学んだかなんてよく憶えてない。ただ劇団の先生に教えられるまま、他の劇団友達も参考にしながら、見よう見真似で憶えたんだと思う。それでも最初の頃は、台本に目が行っちゃうとそれっきりで、先生に「そのセリフ画面では笑ってるよ」とか注意されることが度々あった。リハーサルの時に、セリフをどれだけの速さで読むか、どんな顔をして喋ってるかを注意深く観察して、台本に書き込んでおかないといけないんだよね。トライ・アンド・エラーの毎日だったと思う。その内に『小公子』や『大草原の小さな家』でレギュラーまでいただいちゃって、これもほとんど毎週だったから楽しかった。『アドベンチャー・ファミリー』の吹き替えをやった後には、「番組でトビー役をやっていた難波克弘さんについて教えてください」とかいう投稿がテレビ番組雑誌に寄せられたりして、初めて写真つきで解説されちゃったりしたこともあった。
チョイ役から主役級まで、本当に色々な番組や映画の声を当てさせてもらった。ほとんど毎日のように仕事があって、時には一日に2本掛け持ちなんて時もあった。劇団の西村先生はみんなの第二の母といった感じで、本当によく面倒を見ていただいた。すごく気さくでパワフル、それでもダメなときにはダメだとちゃんと怒ってくれる人。この先生あっての今の僕だと思う。小さい頃からたくさんの大人との交流があったのは、すごく自分にとってプラスになったと思う。自分だけだとこまっしゃくれた子供になってたかもしれないけど、西村先生がちゃんと目を光らせていてくれたお陰で、大人との付き合いのノウハウを学ぶことができた。
ちょっと話は変わるんだけど、ついこないだシアトルの日本語情報ウェブサイトJungle Cityの掲示板を見ていたら、「日本語男性ボイスオーバー急募」の広告を発見。「声優、演劇経験者優遇」とのこと。うわお、ここで応募しなくてどうする!ということで、オーディションを受けてきた。声の仕事なんてもう10年以上やってないし、それに渡された台本を見てみると、コンピュータ・グラフィックスによるマッド・サイエンティストの役。今までのキャラクターとは全く違う役なので、スタジオに着いたときにはかなり不安だった。ところがヘッドホンを耳に当てて台本を片手で持つと、まるでこの仕事を昨日までずっとやってきたかのように、すごくしっくりきてしまった。演技の方は、舌が少し回らなくなっているとはいえ、プレイバックされたのを聴いてみると、ちゃんと自分でも納得のいくレベル。なんだ、これだったら現役でも大丈夫じゃん!(笑) 夢の中で、台本を渡されるんだけど舌が全然回らなくてダメダメだっていうストーリーを何度も経験したことがあるので、現実の世界ではちゃんとできることがわかってホッとした。今回の仕事自体は、あまりにもキャラクターが違いすぎるので、受からなくても無理はないけどね。でも本当に、小さい頃学んだ技術って絶対に忘れないんだなって、すごく実感した。 |
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声の仕事が増えてきた頃、僕は初めての舞台も体験した。『草燃ゆる』という時代劇で、場所は帝国劇場、主演は山田五十鈴さんという豪華な初舞台。僕は源頼家の子供時代の役で、なんと花道から登場! カツラを被って豪華な時代劇衣装を身に着けた僕は、自分で見ても自分じゃないみたいだった。家来を連れて狩りに行くシーンがあったので、弓の使い方も勉強したりして楽しかったな。僕は全然緊張してなかったんだけど、僕の回りの人達が「客席にいるのは人じゃなくて、ダイコンとかニンジンとか野菜が並んでると思えばいいんだよ」とか教えてくれる。そんなに心配しなくても大丈夫なのにって心の中で笑ってた。
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さてさて中2の時。大人気だった『3年B組金八先生』の後番組、『1年B組新八先生』のオーディションになんと合格してしまった。ウチの劇団から受けた全員が合格したんだよね。Go! Go! こまどり(笑)。第1話の入学式のシーンで新入生代表として挨拶をするセリフがあった後は、第4話まで全くセリフなし。うー、このままセリフがなかったらどうしようと思ってた矢先、第5話で突然主役が回ってきた。『新入生初身体検査』というちょっと怪しげなタイトルの話。僕より先に台本を読んだヤツラが「え~、三郎(僕の役名)ってこんなにヤラシーやつだったんだ」って僕をからかうことしきり。何が起こっているかわからない僕は半ベソ状態になってしまった。ま、要するに勉強もできてマジメな三郎クンが、いわゆる思春期の男の子の悩みに目覚めてしまったワケ。お風呂でコソコソとパンツを洗ったり(爆)、成人指定の映画館にこっそり紛れ込んだりしたりとか。そりゃ台本貰ったときにはちょっとショックだったけど、演ってみると面白かった! その時の監督は、ほとんど僕の思うままに演技させてくれたしね。最後、河原で僕が泣いているところを新八先生と久美子先生に見つけられるシーンがあるんだけど、僕が河原の岩みたいなところに座って演技の前準備として気分を出そうとしていたら、スタッフの人達もそれをわかってくれて静かに放っておいてくれたし。面白かったのが、カメリハの時だったかな。僕が泣きながら新八先生の胸に飛び込むシーンがあって、胸に飛び込んだのはいいんだけど、先生の胸にあったボタンだったかマイクだったかに鼻をしこたまぶつけちゃって、先生に「なんかすごい音しなかったか?」とか言われて大爆笑したりした。あ、あと、成人指定の映画館からコッソリ出てきたところを、大森巡査に見つかって追いかけられるシーンの撮影のとき。スタッフの人に「カメラから見えなくなるまで走れ」って言われてたんで、巡査が「こら!待て!」って追いかけてくるのを逃げるようにずっと走ってたら、道を歩いていたおじさんにガシッと肩を掴まれて止められた。僕は何が起こっているのか理解できずに、「も、もしかしてこれって誘拐?」とか思ってたら、追いかけてきた大森巡査に差し出された。巡査役の人もビックリしちゃって、「あ、こりゃ、どうも!」とか言ってたけどね。そのおじさんにはカメラなんて見えないから、僕が本当に警官に追いかけられてると思ったらしい。後でスタッフの人達と大爆笑したけど、その時はもう足ガクガクもんだったっす(笑)。
この番組のレギュラー6ヶ月間は本当に楽しかった。ずっと長く一緒にいるもんだから、クラスの中にもちょっとした派閥みたいなのも生まれちゃったりして雰囲気が悪くなったこともあったけど、それだけにリアリティがあったもんね。2000年の5月、ちょうど番組の収録時から20年ということで、僕がキッカケ案を出して、20周年同窓会が開催された(いろいろアレンジしてくれた大、ありがと~!)。その同窓会には岸田敏志さんも来てくれて、連絡がつかなかった数名を除いて、クラスのほとんどが出席してくれたのは感動モノだった。20年もの月日を経たとはいえ、あれだけずっと一緒にいた仲間たち。まるで一週間前に会ったかのように、すぐに打ち解けてしまった。とはいえ、あの頃はみんな12~13歳くらいだったから、その頃の友達と酒を飲んでいるってのはちょっと不思議な感じだったな。女の子たちはあまり雰囲気は変わらずにそのまま綺麗になった感じなんだけど、男は随分風貌が変わったヤツラばかりだった。文夫役に「太ったね」って言われたのはやっぱりショックだった。ダイエットして行ったのに…! 岸田さんも50近いのに、その場の誰よりも若い雰囲気。やっぱり好きな仕事をしてる人ってのは輝いてるよね。本当に楽しい同窓会だった。そういえばあの同窓会以来、日本に帰ってないや。日本に帰ったときにはまたみんなで集まって飲みたいな。
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中3のときはまた帝国劇場で、『王様と私』の舞台。オーディションの時には「うわーそんなに高い音まで出るのか、すごいね」とまで音楽監督に言われたんだけど、それから本舞台までの間に声変わりが始まってしまったらしく、最初の歌の練習のときにはその同じ監督に怒鳴り散らされてしまった。「こんな音も出ないのか! 君はそれでもオーディションを受けたのか?!」って、全員の前で怒られた。その場ではグッと堪えたけど、休憩時間にはトイレに行って大泣きしちゃったよ。劇団の西村先生は僕が泣きに行ったのがわかってたらしい。「この年頃なんだから声変わりくらいしたって不思議じゃないじゃない。なにもあんなに言わなくたってよさそうなもんなのにね」と同情してくれた。この舞台では僕は大勢居る王子の中の一人。『新八先生』で一緒だった克弘役のヤツは、チュラロンコン役という主役級を貰ってた。いやー、悔しかったね。負けたーって思ったよ。それでも大勢の王子役・王女役たちと一緒の舞台は楽しかったけどね。
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この舞台の後TBSの『娘が家出した夏』というドラマのオーディションを受けて、なんと受かってしまった。今から考えてみるとものすごい豪華メンバー。僕の兄役が奥田瑛二さん、姉役に石原真理子さん、その友人に手塚理美さん、お隣の家には名取裕子さん。なんかスゴイよね。撮影の合間には、石原さんと奥田さんとの3人でTBS近くの神社まで散歩に行ったりして、みんなやさしくて楽しかった。でもこの頃はどんどん声も変わって、僕の風貌自体も変わってきていて、すごいコンプレックスに悩まされている時期だったので、演技自体はもうメチャクチャだった。声が変わったのでどんな演技をしていいかわからなくて、普通に演っているつもりだったんだけど、オーバーアクションだと言われたり。あの頃は本当に心から悩んだなぁ。全話ビデオに録ってあるんだけど、あの頃の自己嫌悪を思い出すのがイヤで、未だに一度たりともプレイバックしていない。そろそろ見てみてもいい頃かもしれないな。とにかく、中3は僕にとって暗黒時代ともいえる一年だった。
高校受験のための勉強をしなければならなかったし、演技が全くわからなくなったりしていたので、劇団を辞めることにした。この時はキッパリと演劇を辞めるつもりだったんだよね。ところがどっこい、ある漫画に出会うことで、僕はまた演劇を再会するハメになる。
(続く) |