演劇 - 後編 (8/23/02)

 

 高校受験も終わり、普段の平穏な生活が戻ってきた。と同時に、時間を持て余すような毎日に空虚さを感じ始める。受験で忙しくなる前は週に最低でも1~2日は劇団の仕事があって、手帳に書き込んでおかなければダメなような忙しい毎日を送っていたんだけど、「何も予定がない毎日」にすごく戸惑っていたことを憶えてる。今まで学校の友達と遊んだこともあまりなかったし、高校でもクラスではあまり活発な方じゃなかったしね。

 

 そんなときに、ある漫画に夢中になってしまった。中学の時から『パタリロ!』がきっかけで読み始めた少女雑誌『花とゆめ』に連載されていた、『ガラスの仮面』である。知ってる人も多いと思うけど、演劇に情熱をかける少女が数々の苦難を乗り越えながら、演劇界幻の名作『紅天女』を目指すという物語(ちなみにこの漫画、今でも完結してなかったりする。もうダメかもね)。それを最初から読んでいくうちに、もう一度自分の中にある、演劇への情熱を再認識してしまった。舞台で、カメラの前で、マイクの前でもう一度演技したい! そんな思いが日々強くなってきて、一時期あんなに演劇は辞めようと思っていたのに、結局劇団に舞い戻ってしまった。もちろん劇団側はすぐに受け入れてくれたけどね。

 

 声変わりもすっかり終わって低くなってしまった声、今までと同じような表情が作れなくなった顔。今まで培ってきた演技の基本から見直さなきゃいけなかった。「難波克弘、第二章」といった感じ。劇団のレッスンで、劇団員の一人が真ん中に出てきて、5分くらいその人の行動を回りからみんなで観察して、その後一人一人がそれを真似してみるっていうモノがあったんだけど、僕はこれが小さい頃得意中の得意だった。真ん中に出てきて恥ずかしがった女の子が「やーだぁ、もう」とか言ってたのをそのまま真似てみたりとか、僕が演るときにはみんな面白がってくれてたし。ところが声変わり後にそれを演ってみると、真似して出した声の低さに自分でも驚いてしまう。小さい頃は対象が男でも女でも真似はできたのに、今となっては対象が女だと、自分の演技の不気味さが耳についてしまった。回りの人達も、僕のそのジレンマを感じてたと思う。とにかく演技の仕方を根本から見直さなきゃいけなくて大変だった。

 

 今までは優等生やひ弱な子供の役ばかり回ってきてたんだけど、声変わり後は与えられる役が全然今までとは違っていて、最初はかなり戸惑った。忘れもしない、一番最初に僕も回りの人達も「ええっ?難波がその役?」と驚いた役は、映画『ラ・ブーム』の吹き替えの時。一人何役か演らなきゃいけなかったんだけど、僕の名前を「暴走族2」の下に見つけたときには、自分でも目を疑った。今まで演ったことのない不良っぽい口回しは、戸惑いを感じると共に、「こんな役も演れるのか!」ってむしろ面白くも感じたことを憶えてる。中3の時に演った『オーメン2』のダミアンはまだ声変わり途中だったんだけど、声変わり後にはもう一度、レーザーディスク版の『オーメン2』の仕事が来た。2つを聞き比べてみると、レーザーディスク版は輪をかけて声が低いし舌も全然回ってない。初めて見た時には恥ずかしくて、穴があったら入りたいくらいだった…。

 

 こういった自分の声に対するコンプレックスがあったからなのかな。いつの頃からか、声を完全に出し切ることができなくなってたような気がする。劇団でも先生に言われてたし、アニメ『十五少年漂流記』のゴードン役を演ったときにも、音響監督に「もっと元気に声を出して!」と言われ続けたのを憶えてる。お腹から声を出すようにって、毎回劇団のレッスンでも自分でも気をつけて頑張っていた。その甲斐あってか、『風の谷のナウシカ』のアスベル役のオーディションを受けたときには、回りの人から「難波くん、声出るようになったね~」って言われるようになった。これは本当に嬉しかったなぁ。結局『ナウシカ』は落ちちゃったんだけど、後から最終選考まで残ってたってことを聞いたときには本当に悔しかった…。オーディションの前から、誰が演るか内定してたって話も聞いたけど、本当なのかな?

 

 この頃から、だんだん洋画の吹き替えと同時に、アニメの仕事も増えてきた。最初にアニメの吹き替えをやったのはまだ声変わり前の、『ヒット・エンド・ラン』という野球アニメのチョイ役。洋画では片耳から聞こえる原音がアニメではないから、とても心細く感じたのを憶えてる。極端な話だけど、洋画の場合は自分の声を相手の演技に乗せるだけでいいからラクなんだよね。相手の抑揚と表情に合わせてセリフを読むだけだから、メインの演技は元の役者に任せればいい。相手のリードに合わせてフォローする、カップルダンスみたいな感じかな。ところがアニメだとそうはいかない。自分が一から演技を作らないといけないので、オーバーアクションぎみに演じないといけないのがツラかった。

 

 話はちょっとソレるけど、この間日本に帰ってホテルでテレビをつけてみて、最近のアニメの声優さんたちの演技を聞いてみてビックリ。オーバーアクションなんてもんじゃない。なーんかみんな無理に声を作ってる気がするし、演技のための演技をしてる感じで、5分も聞いてたら耳が疲れてしまう。まぁ番組によるのかもしれないけど、憶えていたアニメの雰囲気とはまるで違うのに驚いてしまった。宮崎駿監督のアニメは、声優じゃなく普通の俳優をキャスティングしてる作品が多いみたいだけど、そのワケはこの辺にあるのかもしれないなぁ。でも声優をたくさん使った『天空の城ラピュタ』は全然不自然に感じなかったし、俳優をたくさん使った最近の作品もまあまあ味があっていいし(時々どつきたくなるような演技をする人もいるけどね、『耳をすませば』のお父さん役とか(笑))。人それぞれ、作品それぞれだと思うけどね。僕の演技は決して上手い方じゃなかったから(どっちかというとド下手)、こんなことを言うのはおこがましいとは思うんだけど、それでもやっぱり最近の若手アニメ声優はちょっと流れが違う気がする。

 

 さて、そうこうしているウチに、いろんなアニメのオーディションにも果敢にチャレンジしてた。『マクロス』とか、受けたことは受けたんだけど落ちちゃったし(笑)。その後運命的とも言える出会いをしたのが、高2のときの『銀河漂流バイファム』のオーディション。こまどり軍団何人かで受けたんだと思う。最初にキャラクターの設定表を渡されて、どの役で受けるかってのを自分で選ぶことができる。先生とも相談して、やはり真面目な性格のキャラクターを受けようということで、スコット役で受けた。快活な少年の声ができるとは思わなかったしね。オーディションを受けたことも忘れかけた頃、劇団からの電話で、バイファムの2次オーディションの話が入ってきた。行ってみてビックリ、活発な主人公の少年、ロディのセリフを読めと言われる。最初は「主人公」ってだけで、「え?ホントに?この役のセリフ読んでいいんですか?」って感じで尻込みしちゃったけどね。音声の収録の後、「一応この作品はこのメンバーで行きたいと思います」との発表を聞く。「え?これって2次オーディションじゃなかったの?これで終わり?ホントに受かっちゃったの?」と、驚くやら戸惑うやら。声変わり以降、主役だなんて初めてっすよ。嬉しさの反面、不安もかなり大きかったけどね。

 

『バイファム』のロディ・シャッフル

 

 さて『銀河漂流バイファム』の第一話の収録日。…結果的には最低最悪の日だった。以前から言われ続けていたんだけど、最近は少しは大丈夫になったと自分でも油断していた「声が出ていない」という事実。音響監督に、これでもかというくらいシナリオ全編を通して注意され続けた。大ベテラン声優、富田耕生さんにも「本当に演技の勉強をしてるのか?」とか、とてもキツイお言葉を貰ったり(野沢雅子さんが「まぁまぁ」と止めに入ってくれたり)。いやーこんなにキツかったのって、あの『王様と私』の最初のリハーサルのとき以来(笑)。さすがに泣きはしなかったけど、やっとのことで収録を終えて家に帰ってきた後は、「こんなんで最後まで演っていけるんだろうか? 役から外されちゃうかな?」とかずっと悩んでた。『マクロス』で主役を演っていた同じくこまどりの長谷くんが「収録どうだった?」って心配して電話してきてくれたのが、本当に心から嬉しかった。この電話のお陰でかなり心が軽くなった。

 

 泣き寝入りしているわけにもいかないので、次の回のシナリオを早目に貰って、劇団で先生に特訓してもらう。セリフを一つ一つ先生に聞いてもらって、その評価をフィードバックしてもらった。全てのセリフを特訓し終えるには、とても時間がかかったと思う。この時ほど先生に感謝したことはなかった。僕のために、忙しい時間を割いてまで演技指導をしてくれたのが泣くほど嬉しかった。その甲斐あってか、第二話収録のときには、「先週よりも声が出るようになってきたねー」と音響監督にホメられた。きっと誰かに「あんまり叩くと萎縮しちゃうよ」って言われたんだとは思うけど、それでも自分の努力が少しでも認められたことに、希望の光が見えた気がした。この後だいたい第十話くらいまでは、ずっと先生に演技指導をお願いしてたと思う。

 

 声の演技をするときに何が一番ツラかったかというと、自分の声の音域の狭さ。興奮して声を荒げるシーンでも、もっと高い声でセリフを言いたいのに、音域の上限に阻まれてどうしても平坦な読みになってしまう。歌を唄うときに、どうしてもこの高い音が出ない!ってイライラするのと同じ感じで、頭の中で思った通りにセリフを読めない自分に不満が募っていた。これは今でも不思議に思うんだけど、声の音域に阻まれて思った通りにセリフが読めないって人、僕の他にいるのかな? だから『バイファム』で興奮したときの声とかって、頭の中ではもっと高い声を出したいのに現実では出せないので、すごくガラガラした声になっちゃってた。これはいろんな人に指摘されてたんだけどね。「声変わり中の少年ぽくてリアルでいい」って言ってくれた人もいたけど、決して自分では納得の行く演技じゃなかった。その最たるものが、ロディが憧れていたケイトさんというキャラクターが死んでしまうとき。「ケイトさーん!!」と悲しみを込めて叫ばなきゃいけなかったんだけど、どうしても自分の頭で思うような声が出せない。もっと高い声を出したいと思えば思うほど、感情がどこかに行ってしまって、ただ叫んでるだけの声になってしまう。今でもここのセリフを聞くときには唇を噛み締めてしまうくらい、今十歩くらいの演技だった。カナメなセリフだけに、自分で納得できない演技を残してしまった自分がとても恥ずかしかった。

 

 演技のことはさておき、『バイファム』のレギュラーを開始してから、それに付随する変化が僕の演劇生活に訪れた。「声優」っていう言葉がメジャーになり始めた頃だったのかな。『マクロス』の長谷くん、『みゆき』の鳥海くん、そして『バイファム』の僕の3人で雑誌のインタビューを受けたりしたし、あるアニメ雑誌にはビックリするほど大きな僕のポスターがついたこともあった(僕だけのじゃないけどね)。毎週土曜日の収録の時には、スタジオ入りするときには前で出迎えてくれて、家に帰るときまでずっとスタジオの外で待ってくれてるファンの人達との出会いも、とても大きな戸惑いの一つだった。こんなことは『1年B組新八先生』のとき以来。好きなことやってるだけなのに、こんなにチヤホヤされていいのか?ってずっと思ってた。『アニメトピア』っていうラジオ番組にゲストとして招かれて、その番組のレコードに一曲唄わせていただくという、今までの一生の夢が叶っちゃったりしたし。初めてのレコーディングはまさに緊張そのもので、今から聴いてみるとただただ恥ずかしいという一言に尽きちゃう。でも一人コーラスとかできて嬉しかったなー。このラジオ番組であっちこっちにイベントで行かせてもらったりしたのも、僕にとっては最高の思い出の一つ。なんたって遠くに行けて舞台に上って歌を唄えて、みんなからキャーキャー言われて花束やプレゼントを貰って、会社持ちだから美味しい物を食べに行けて、それで最後には出演料も貰えちゃうなんて、こんな夢のようなことがあっていいのか!(いや、いいはずがない)というような、とても不思議な「イベント」と呼ばれる仕事。最初のイベントでいきなりセーラー服を着させられたのはショックだったけどね(笑)。でもその写真を見た母が、「ま~、私の学生時代にそっくり!」って言った時の方がもっと大ショックだったりする。

 

 
はずかちー、セーラー服姿   アニメトピアのイベントで

 

 「声優」って呼ばれるとなんか偉くなった気がしておこがましい感じだったけど、『バイファム』のお陰で他のいろいろなアニメの声にも使っていただけたのが嬉しかった。『タッチ』の佐々木役もレギュラーにいただいちゃったし(ちゃんとオーディションがあったと思う)。この作品は尊敬する三ツ矢雄二さんとの共演なので最初はとても緊張したけど、日高のり子さんを始めとするキャストの皆さんが本当にいい方ばかりで、とても楽しかった。役柄的にも『バイファム』のロディとはうって変わって、真面目で気弱な役。声変わり前の真面目さとは全然違う役が嬉しかった。そういえばこの作品を演ってるときに、今でも日本に帰る度に飲みに行ってる金丸淳一さんとも出会ったんだよなぁ。『タッチ』の終わり頃、音響監督に『陽あたり良好!』のオーディションも受けてみないかとの話を受けて、もちろん喜んでOKしてしまった。監督自ら話を持ちかけてきてくれるなんて、こんな嬉しいことはない。最終的に『陽あたり良好!』のキャストは、ほとんど『タッチ』からカット&ペーストしてきたような感じ。日高のり子さんがいなくなっちゃったのは残念だったけど、森尾由美ちゃんもすごく楽しい人で、和気あいあいとしたスタジオの雰囲気は『タッチ』のときと全く同じだった。この『陽あたり良好!』の誠役も今までなかったタイプ。僕の役者人生で初めて、声を少し作って演技しなきゃいけなかった。「へぇ、このくらい作っても大丈夫なんだ」って感じですごく楽しかったけどね。ただセリフが本当に少なくて、三ツ矢さんに冗談で「このギャラ泥棒!」って言われてた(セリフの多い少ないに関わらず出演料は一定だから)。ヒドイときなんか「転校」の最初の文字の「てん…」だけ言って「お疲れ様でした~!」な時があったりして。この時には他の声優さん方に「こりゃもう一文字いくらの世界だよね」って羨ましがられました(笑)。

 

『陽あたり良好!』の打ち上げ

 

 実はこの『陽あたり良好!』には不思議な縁がある。中3の頃、演劇を一時期辞めていたときに『陽あたり良好!』の実写版が放送されていて、その誠役を、こまどりでも仲のいい友達だった「まめたん」こと松田辰也くんが演じてた。この誠役はコンピュータの使い手という設定。んで、そのコンピュータの画面に出てくる文字をプログラムしたのが、何を隠そうこの僕。まめたんや劇団の先生が、僕がコンピュータを操作できるとスタッフの人に言っていたのがキッカケらしい。それにしても劇団にコンピュータの仕事が入るなんて(笑)。んで、僕がシアトルに出張していて、アニメ『陽あたり良好!』の映画版の収録が無理だった時には、その映画版の誠役は松田辰也くんが演じることになったという、なんともメビウスの輪的なお話。

 

 まだ『タッチ』とか『陽あたり良好!』をやってる時だったかな、三ツ矢雄二さんの主催する劇団、プロジェクトレビューのミュージカルに、『バイファム』で一緒だった鳥海くんと、ゲストとして招待された。三ツ矢雄二さんのオリジナル、『明日へ!キャサリン』と『ジミーとジョアン』という二本立てのミュージカル。前者はまるで『不思議の国のアリス』みたいな物語でいろいろな動物が出てくるんだけど、その中でなんとアリ(蟻)の役。後者では物語の進行係の語り手の役。語り手は唄って踊ってナレーションしてって感じだったので、踊りの稽古とかはかなりハードで大変だったけど、役作り自体はそんなに大変じゃなかった。問題は「アリ」。これは最後まで役作りの方向が定まらなくて、本当に苦労した。三ツ矢さんにもそれを見抜かれてたし。銀座小劇場っていう小さな小さな劇場での公開だったんだけど、あんなに唄って踊れるのって初めてだったから、すごく楽しかった。稽古はハードの一言に尽きていて、初日はもう全身がビシバシ痛かった。リポビタンAを2本くらい飲んで舞台に臨んだことを憶えてる。あまりにハードで、衣装合わせのときに測ったウエストサイズが、この舞台を終えた後は6センチも縮んでたのには笑ったね。銀座小劇場の後には、青山円形劇場で完全リライトされた『明日へ!キャサリン』にも違う役どころで出していただいたりした(今度はキツネ役)。顔出しの仕事ってすごく久しぶりだったから表情の作り方に苦労したけど、やっぱり舞台って楽しい。お客さんの反応が肌で感じられるからなのかな。自分がセリフを喋って、それによって笑ってくれたり感動したりしてくれてるのが、空気を通じて伝わってくる。あのビシバシくる観客の反応は病みつきになりそう。

 

 大学生活も終盤に近づき演劇以外の仕事も忙しくなってきた頃、劇団から今までにない新しいタイプの仕事が舞い込んできた。これはまるで僕の二つの得意分野、演劇とコンピュータを足し合わせたような面白い仕事。NHK衛星放送で『シティー・インフォメーション』という、映画やアートなど街の最新の情報を視聴者に伝える番組がスタートすることになったんだけど、この一番最後でNHKが立ち上げていた「銀河通信」というパソコン通信を通して伝えられた、各国の話題を僕が紹介することになった。いわばパソコン通信版ニュースキャスター。生放送だったので、平日の毎日4時には渋谷のNHKのスタジオまで行かなければならなかった。この当時は大学4年で、3年までに卒業に必要な単位は全て取ってしまっていたので時間には余裕があったんだけどね。でも普通は2~3分はあるこの紹介コーナーも、生放送なだけあって時には1分くらいになってしまうこともあって、自分で不必要と思われる情報をどんどんカットしながら早口で原稿を読まなければいけなかったのでとても大変だった。当時のビデオを見てみると、「うっわー、よく舌が回ってるなー。偉いな~」と自分で関心してしまうほど。毎日早口言葉の特訓をしているようなものだもん。やっぱり毎日の鍛錬の積み重ねってスゴイって思った。

 

 この『シティー・インフォメーション』の番組では最新の映画情報を伝えるコーナーもあって、海外の有名な俳優のインタビューとかが放送されたりしてた。チャーリー・シーン(Charlie Sheen)に誰かがインタビューしてるクリップを見て、「えー、チャーリー・シーン日本に来てたんだ。会いたかったなぁ…」と漏らしたら、スタッフの人が「海外の俳優とか好きなの?そんじゃ次に誰か来た時にインタビューしてみる?」とのお話。もう首を縦にちぎれるくらいに振って返事した。このチャンスが回ってきたのが、映画『第七の予言』のプロモーションでマイケル・ビーン(Michael Biehn)が日本に来た時。マイケル・ビーンは『ターミネーター』の最初の話で未来から来たいいヤツの役とか、『エイリアン2』で最後まで生き残る隊員の役を演ってたのは知ってたから、もう舞い上がってしまった。インタビューする質問を考え、それを英語に直して紙に書いて、通訳の人に一応見せて手直ししてもらう。緊張するだろうから、そういうアンチョコがないと頭がカラッポになっちゃうだろうし。マイケル・ビーンには、ホテルの一部屋で約30分くらい独占インタビューをさせてもらっちゃった。最初に、英語でインタビューするのなんて初めてだから、わかりにくいことがあったらゴメンなさいって一応断っておいたら、満面の笑顔で「全然大丈夫だよ!」って言ってくれた。いやー、ホントにいい人ってのがにじみ出てたね。英語を実生活で使ったのって、この2年前にオーストラリアに行った時以来だったからすごく緊張したけど、インタビューは思いのほかスムースに行ったと思う。映画の大画面で見たことのある人と1~2mの距離で実際に会話できるって、こりゃスゴイことっすよ。僕もかなりミーハーな方だったんだなぁ(笑)。

 

どひゃー、マイケル・ビーンと!

 

 『シティー・インフォメーション』をキッカケに衛星放送の別の仕事も頂いたりして(「お仕事お仕事、韓国旅行」)、かなり充実した大学4年生だったと思う。でもこの頃には、心の奥で将来の仕事に対する葛藤が渦巻いていた。コンピュータと演劇。今までの僕を形成するのに、どちらも欠かせないエレメントだった。でも大学を卒業したらその二つを平行してやっていくことは不可能に近い。役者ってのはとても充実した仕事だけど、仕事が来なかったらそれっきり、「職業」にするにはとてもリスクの高いもの。反対にコンピュータ業界は華やかさはないものの、今が盛りの勢いで伸びている世界なので食いっぱぐれる心配はない。小さい頃から金銭的に安定した生活に憧れていた僕は、心の中ではどちらを取るかは明白だった。ただ、本当に演劇を完全に捨ててしまえるんだろうかっていう不安が、胸に重くのしかかってた。まさに自分が半分に引き裂かれてしまうかのような恐怖、そんなものが就職するまでずっと心の奥底にあった。

 

 結果から言えば、コンピュータ業界を選んで正解だったと思う。好きなことだったし、安定した生活を送れたし、夢だったアメリカに住んで家を買うこともできたし。それでも、今でも演技している夢を見ることが多いってのは、やっぱり演劇を諦めきれてない証拠なんだろうな。ツライ思いもしたけど、そんなことが問題にならないほど楽しい経験を積み重ねた演劇の世界。たぶん一生この後ろ髪を引かれる思いを引きずっていくんだと思う。

 

 シアトルに来てから、こっちで有名な合唱団に入団した。初めてのコンサートで舞台の上に上がった時、全身に鳥肌が立った。血が騒ぐっていうのかな。あの舞台独特の匂いと強いライトの光、そして目の前に並ぶ客席。「これこれ!この感覚!」って涙が出そうになった。自分がいかに演劇の世界を欲していたかを思い知らされた感じ。小さい頃からやってきた演劇経験の数々が、自分のDNAに刻み込まれてしまっているような気さえした。表現方法は違っても、「観客を楽しませる」というゴールは演劇もコーラスも同じ。空気から伝わってくる観客の感情の変化がとても心地良かった。

 

 アメリカに住んでいる以上、これから演劇の世界を再体験するってのは不可能に近い話なのかもしれないけど、完全に諦めないでちょっとは希望も持っていたいな。英語で演技なんてしたことないけど、根底を流れるものは同じだと思うしね。もしそういう機会があったら、恐れずに挑戦してみたいと思う。たった一度の人生、10年後20年後になってから後悔はしたくない。