立教164年春季大祭講話

於:サンマテオ教会

1月14日 山本 徹サンマテオ教会会長

 

 ありがたいことに、私も今月おぢばに帰らせていただきます。今年はまず、四月、五月までは一、三、四とおぢばに帰らせて頂きまして、おぢばの理をしっかりと頂いて帰ってきますので、皆様方もどうぞ、教会に参拝させて頂いて、おぢばの理を頂くように、心から勤めて頂きたいと思います。

 私がおぢばに参拝しますと、教祖殿の教祖のところに、お出ましの時間があるんです。皆さん方もご存知のように、教祖は現身を隠されてから、生きている人と同じようにつとめておられます。本部の婦人さん方が、教祖のお側近く、毎日つとめさせていただいているんです。色々な不思議な御守護を見せていただくんです。我々もそれを聞かせて頂いて、

「ほんに、なるほど、教祖ご存命なんだな。」

と、聞かせていただくお話、お話に、胸を打って、時には涙を流し、喜ばせていただいております。

 教祖は我々信仰者の成人を求めました。最初、教祖が我々にお話を説くときに、「神」と説いたんです、親神様のことを。その次は「月日」と説きました。そして、最後に「親」と説いたんです。なぜ、最初に「親」と説かなかったのか、なぜ最初に「神」で、「月日」で、「親」だったのか。人間のそれぞれの成人の姿によって、名前を変えられました。「神」というと、昔の人方は「恐ろしい。怖い。罰があたる。」そういう神の存在を最初示されました。その次に表したのは「月日」です。朝、お天道様が昇り、夜、月様のあかりで糸紡ぎをなされた教祖がです、名前を「月日」と「神」から変えていって、最後に「親」とされたんです。この、絶大なる人間の親が子供を育てるのと同じように、親神様は我々を育てて下さるんだと。

 成人するというのは、誠に難しいですけれども、今ここにおられる子供たちは、生まれて来て、だんだん大きくなった子もおります。つい、去年の夏過ぎのことですけれども、Mさんのところの息子二人を、ご夫婦がちょっとどうしてもサンフランシスコに行かなくてはならんので、預かりました。私は午前中、何とか時間を作って二人を色々遊ばせたりですね、やってるときにですね、どっちみち私も時間あけたから、

「後ろの枯草を掃除するひのきしんやろうか。」

と言ったら、二人とも

「よし。」

 普段遊んでいる姿からは考えられないですね。皆さん方もそこにいたら驚くと思うんです。まあ、一生懸命、30分位しました。そこにおいてある、枯草だけのごみ箱がいっぱいになったんです。私は

「いっぱいになったから、もう止めようか。」といったら、

「これ、押したらまだ入るよ。」

私の方がしんどくなっちゃってね、

「止めようや。」

「や、まだ入るよ。」

で、私が上に乗って押したら、グググと、枯れ葉が押されてね、で、後ろの庭の枯れ葉がほとんどきれいにしました。その後道具を車庫まで持ってきてくれたです。普段、月次祭しか見てないと、飛んで、跳ねて、遊んでね、「よう、動く子だな」ぐらいしか、思っていない。それが、ピシッとひのきしんやるんです。

 子供の話のついでに、私は毎月ロスアンゼルスのサン アーケディア布教所、河合家のところに行くんですね。それで、宿泊させていただきます。子供の遊ぶ部屋があり、暗くなると電気を点けて遊んでおります。てっちゃんが、パーッとそこから走って茶の間の方に行くんです。私は、おつとめして十二下りしますので、十二下りの「なむてんりおうのみこと」の時に、いないなあと思ったら、電気をパッと消すんです。いないのに電気を点けているのはもったいないと思ってね。そうしたら、また、てっちゃん来るんです。暗いからまた電気点ける。また、遊びに行ったときに、私がまた、「なむてんりおうのみこと」で消す。これ二回ほどやったんです。そしたら、てっちゃんは今度電気、部屋の灯りを消して出て行ったんです。子供というのは、これ見事なものだと思いました。教えていないんですよね、私は、みかぐらやっていましたから。「電気消すんだよ」と、言ってないけれど、てっちゃんは入ってきたときにちゃんと電気消して出て行く。

 ここにいるめぐちゃん、こうちゃん、きみちゃんにしてもだけど、それからかいちゃんにしても、皆小さいころに比べて随分大きくなってね、我々は子供の姿を見て、「随分人の子というのは大きくなるのが早くなるな。」快道くんなんて、来たときはちっちゃなものでしたけれども、今ならいっぱしの大人のような顔をしてね、上段に「上がるな」って言うのに、上がるんです。「止めろ」っていうのにやるんです。それだけ、しかし、解っているんですよ。上がったらダメなの解ってて、人の顔をじーっと見ながら、上がっていくんです。これは人間の本能なんですね。成人しているときに、注目を浴びたい。私を見てほしい。注意をして欲しいんです。

 子育てにおいて、私は色んな方の相談を受けさせて頂き、子育てについて色々お話をさせて頂くこともあります。私の兄弟も上に6人おりますから、それぞれが5人、7人、3人、4人、2人と、子供を持っておる。その子供を育てる道中の話に、私が育てる道中は、皆、私と意見が違う。

それだけ、子供を育てることに関しては、皆心から可愛がって、叱って、育てるんですけど、本当に真っ直ぐな道に育つかどうかはこれは判らないんです。結果として、子供は怒らなきゃだめなんですね。可愛くて、可愛くてどうしょうもないけれども、それでは親としては失格なんです。子供は叱って、「だめなことはだめ。」と言ってやらなきゃだめなんです。

 あるところの兄弟がおるんです。むちゃくちゃこれも乱暴な3人兄弟でした。3人の男の子が暴れるから、いつも傷しておるんです。その真中の子が、われわれが、よのもと会というところでいくと、その真中の子が、我々の顔を見ながら、「ここ開けたらだめだよ。」と言っているのに、その子が我々の顔を見ながら、ニコニコ笑って、そのドアをニコニコと開けるんです。みんな、

「あーっ。そこ開けたらだめー。」

ニコニコして、まだ開けているんです。そうしたら、親が来て、

「何してるのよ、あんた。」

親は怒らない。

「○○ちゃん、だめでしょ。何しているの。」

ところが、それをニコニコして開けて、親が来て閉めているんです。その子は何をして貰いたいのでしょう。親から見ると、いや、大人から見ると、

「何で、怒られるのを知ってて、そういう悪いことをするんだろう。あいつ、おかしいんでないだろうか。」

普通の親はそう思うでしょう。しかし、私は

「あー。これは親が怒ってないんだな。」

普段、怒ってないから、怒られたいんです。これは子供の本能としてあるんです。

 おたすけで、寝小便をする男の子のおたすけがありました。そのとき、まだ私も若かったんですけれども、大学時代に心理学を取りまして、そのときの心理学の先生の話を思い出したんです。

「寝小便する子の」、病気で寝小便する子は別です。「ただ、寝小便をするという子供の90%は寂しいんだ。」と、この話を聞いたことがあります。そのときに、詳しく色々聞いていたんですけれども、半分以上は忘れていました。そのおたすけのときに、ちょうど、何番目かの、例えば3人兄弟なら真中の子、4人兄弟でもこの真中の2人、5人兄弟になりますと下から2番目、真中、これがよく寝小便たれる。そのときの話を、「寂しいんだ。」と、「だから、しっかり抱いてやってください。そして悪いことは悪いと、叱ってやりなさい。」

兄弟が喧嘩した時に、いつもお兄ちゃんだけを怒っておった。今度はお兄ちゃんも怒りながら、その小学校3年生の子も怒った。そして、時間があるときはしっかりと抱きしめてたそうです、そうしたら、2ヶ月で寝小便がぴたっと止まった。普通なら病院に行って、薬飲ましたり、精神的にあそこが悪い、ここが悪い、ここ注意しなさい、と言われるんですよ、子供が寝る前に水飲まなかったら、どうします。夜中、のど乾いて何回も起きますよ。ある程度、飲ましてやらなきゃだめなんですね。水分補給させなきゃだめ。それを寝小便たれるから、医者は飲ませなかったというんです。しかしのどが渇き、2回か3回夜中におきます。結局、水飲ませて、夜勝手に一人でおしっこ行くようになった。

 もう一つ、あるんです。中学校2年の終わりまで、寝小便が治らない。この子の、夫婦は仲が悪くて、喧嘩ばっかりして、離婚寸前まで行っておる。何回か別居しておる。そのときに、2人兄弟で、下の女の子だけお母さんは連れて、家を出たんです。残された長男どうしますか。可愛そうに。一人だけ家に帰ってきたらね、お母さんと妹がいなかったっていうんですよ。可愛そうに、その子、小学校の5年か6年だったと思います。家に
「ただいま。」って帰ってきた。お父さんは会社行っている。お母さんと、下の妹は居なくなっているんです。そんな可愛そうなことありますか。さて、それでその子は、それまで何ともなかったのに、寝小便をしだしました。どこに行っても、たれちゃうんです。修学旅行も止めました。その別居したときの、その長男のね、切ない苦しい思いは、親は判っていたでしょうか。判らないまま過ごしてきたんです。非常に頭のいい子でしたけれども、途中で崩れちゃったんですね。

 私は、色々おたすけの話聞かせていただき、させて頂きながら、子供を育てるのは難しいけれども、ただ可愛くて、甘やかして、子供が欲しいものを全部与える、子供が泣いてきたら、「どうしたの。どうしたの。」「この子がいじめた。」「この子、だめでしょ。」という親は、これは子供を育てる資格はまだないと、思わなくてはなりません。

子供が泣いてきたら、

「どうして泣いてきたんだ。」

「あの子がおもちゃを貸してくれない。」

「貸してくれと言いにいってこい。」

こういう、育て方をやはりしなきゃならんでしょう。

困ったときは、親に行けば親が全部やってくれる。こういう子が大きくなったら、親が居なくなったら、どうしますか。学校行って、先生に言うんですよ。こちらのアメリカの先生は、私は偉いと思ったのは、そういう子には、ぴしっと

「自分で行っておいで。」

と、いうんですね。私は偉いと思いました。子供を育てるということが、一番難しいんですね。ですから、私は小さい頃から、おみちの話を聞かせて、おみちの鳴り物をさせて、おみちに繋がるように、小さいころからしていかなくてはなりません。この素晴らしい教えが、おみちの信仰は大人になってから判ればいいでは、判りません。小さい頃から教会に運び、小さい頃からおつとめをさせて、鳴り物を覚えさせていかなければ、本当の幸せは来ないです。どうか今月も勇んで、人の喜ぶように、はたはたを楽させるようにお勤め下さい、有り難う御座いました